古墳時代、西船橋のある房総は、麻の産地であったことから、総国(総は麻の古語)fusanokuniと呼ばれていました。都に遠い西船橋付近は、奈良時代では、下総の国と呼ばれ平安時代に書かれた倭名類ジュウショウによると下総は、11郡あり当地は葛飾郡に含まれています。当時都に行くには、太日河(現在の江戸川)は、大変な難所で相模の国から船で上総に入り下総を経て終点の常陸国府(茨城県石岡市)に至るのがルートでした。船が重要な交通手段であったためか船にまつわる遺跡民話が多くあります。下総の国府は、現在の市川市国府台付近と言われています。
西船地区にて遺跡が数多く出ていますが奈良平安時代この地は、下総国葛飾郡栗原郷として栄えていたようです。竪穴式住居跡や高床式の倉庫また金銀銅製の帯金具や円面硯が出ています。馬骨も多く見つかり古代馬の手がかりとなっています。その流れか馬に関する史跡も多くあります。古代馬から江戸時代に入ってきたアラブ系また競馬の主役のサラブ系に移り日本を代表する中山競馬場が今あるのもそんな土壌が生んだのかもしれません。